[ 丸子 名物茶店 ]
「名ぶつとろろ汁」と書かれた看板が掲げられた藁屋根の店で、とろろ汁を食べている二人の旅人を赤子を背負った女中が接待しています。
店の左手を京方面へ歩いている人は、茶屋に山芋を売った帰りの農民といわれています。
[ 丸子 丁子屋(2021 09 19) ]
とろろ汁で知られている丁子屋は1596年の創業以来、この場所で営業を続けています。
現在のかや葺きの建物は1970年に移築されてきたもので、その時点ですでに300~350年を経過していたそうです。
広重の絵にある建物によく似ている建物を探したものと感心してしまいます。
丁子屋は正面から見るとかや葺きの小さな建物しかないように見えますが、後ろに建て増しされているのでかなりの人数を収容できるお店になっていて、観光バスが泊まれる駐車場もあります。
訪れたときは新型コロナ感染症の影響により閉店のため、残念ながらとろろ汁を頂くことができませんでした。
とろろ汁に使う山芋の生産量は、現在北海道が1位、2位が青森県、3位が長野県ですが、北海道と青森県で全国の7割以上を生産しています。
静岡県は10位までにも入っていません。
名産品を提供していたというよりは、たまたま近くで採れた山芋を使い、とろろ汁にして提供していたものが丁子屋の名物になったのでしょうか。
[ 丸子 国道1号岡部バイパス(2021 09 20) ]
丸子宿は東海道に53ある宿の中では小さな宿で、丁子屋はその宿の西端あります。
近くを流れる丸子川を渡りしばらく進むと、高速道路のような国道1号岡部バイパスにぶつかります。
旧・東海道は丸子川に沿ってくねくね曲がっているので、直線に近いバイパスのところどころから旧道がはみ出して残っています。
近くにある砕石場の作業音と国道を走る車の音が、はみ出して残った旧道を歩いていても聞こえ、こんな山の中でも江戸時代の静けさは味わえません。
[ 岡部 宇津之山 ]
宇津ノ谷峠へ向かう山に挟まれた狭い道を、柴を担いだ農夫や旅人が行きかっています。
街道の脇を流れているのは岡部川といわれていますが、川というよりは渓流といった様相です。
[ 岡部 宇津ノ谷峠(2021 09 20)]
宇津ノ谷峠は現在でも人が通るのが精いっぱいの狭い山道で、峠にはもちろん川は流れていません。
描かれている川が岡部川であれば藤枝側の「道の駅 宇津ノ谷峠」付近だと思われ、平地の少ないところなので誇張して描けば[岡部 宇津之山]に近い構図になります。
ただし、絵の中央の奥にある家並み(宇津ノ谷の間宿?)は、絶対に見えません。
[ 岡部 明治のトンネル(2021 09 20) ]
宇津ノ谷峠は明治以降トンネルが掘られ、交通状況が改善されてきました。
現存するのは、1904年に完成した明治のトンネル(現在は歩行者専用)、1926年着工の大正のトンネル(旧・国道1号のトンネルで県道として現役)、1959年(昭和34年)と1995年(平成7年)に開通した岡部バイパスの上り線、下り線のトンネルがあります。
宇津ノ谷峠は明治、大正、昭和、平成と4世代のトンネルが存在する珍しいところです。
このうち、明治のトンネルはレンガ積みのトンネルで、壁面をよく見るとレンガの積み方が異なっているところがあります。
天井にはカンテラのような照明灯がぶら下がり、文明開化を思わせる雰囲気を出しています。
[ 岡部 道の駅宇津ノ谷峠と宇津ノ谷峠の間宿(2021 09 20) ]
旧・東海道の宇津ノ谷峠と丸子宿の間には宇津ノ谷の間宿がありましたが、現在の東海道である岡部バイパスは道の駅が設けられています。
小さいながら食堂も併設され、静岡おでんを食べることもできます。
道は近代化されましたが、食べることについてはいつの時代も変わりがないようです。
[ 藤枝 人馬継立 ]
問屋場の前で人足と馬を交代しているところです。
笠をかぶり厳しい表情をした宿場の役人の前ですが、煙管をくわえる人、手ぬぐいで汗をぬぐう人、ねじり鉢巻をする人など、役人の存在を無視しているようです。
背後にある建物は、壁がはがれていたりひびが入っている様子が妙に写実的です。
[ 藤枝 問屋場跡付近(2021 09 20) ]
藤枝宿の旧・東海道は両側に歩道のある2車線の道路に拡幅され、[藤枝
人馬継立]が描かれた問屋場跡付近の上伝馬商店街は、鉄骨で作られた不思議な形の街路灯が付けられています。
現在の街路灯になる前はアーケードがあり雨に濡れずに歩けましたが、現在の構造物は柱と梁だけなので日差しも雨もさえぎることができません。
梁は上空の視界を遮り、歩いている人に圧迫感を与えるような代物ですが、お祭りなどで特別の用途があるのでしょうか。
両側に連続していた店舗はところどころ建物が抜けて駐車場になり、シャッターを下ろしたままの店も多くあり商店街としては衰退している様相です。
[ 藤枝 藤枝駅北口通り(2021 09 20) ]
藤枝宿は1889年に東海道線に開設された藤枝駅から2km以上離れていましたが、宿場付近と藤枝駅を結ぶ軽便鉄道があったため、戦後も藤枝宿付近は中心地としての地位を保っていました。
軽便鉄道が廃止されると、駅周辺の区画整理が進んだこともあり街の中心が徐々に駅周辺に移動しますが、こちらも賑わいの面では今一つです。
藤枝市は静岡県全体にくらべ大きく人口を伸ばしていますが、静岡市のベッドタウン的な成長のようで駅周辺も商業地としての賑わいはいま一つで、
物販店や飲食店は車での利用が便利な幹線道路沿道に立地し、街の中心が無くなっているようです。
[ 嶋田 大井川駿岸 ]
島田宿側から大井川の川越えの様子を高い位置からとらえています。
描かれているのは中州と川の水が流れている部分だけで、川を渡る大名行列の侍の中には、中州で地面に座り込んで休んでいたり、荷物に腰を掛けている侍もいます。
[ 嶋田 大井川(2021 12 10) ]
「越すに越されぬ大井川」といわれ旧・東海道の難所だった大井川ですが、現在では渡しのあった場所より500mほど上流に大井川橋が架かっています。
大井川橋は1928年4月に当時の国道1号の橋梁として完成し、橋長が1026.4mもある長大なトラス橋です。
大井川は、河口付近でも1/300(300mで1m下がる)より急な勾配なので、土砂の流出量が多く網状の流路は安定せず、[嶋田
大井川駿岸]に描かれていた流路と中州があった場所は分かりません。
[ 嶋田 右岸側の展望台から望む蓬莱橋 (2021 12 10) ]
大井川橋からも網状の流路を眺めることはできますが、おすすめはさらに下流、島田駅の1kmほど南東にあるからの眺めです。
蓬莱橋は橋長897.4m、幅2.4mの木橋(橋脚の一部はコンクリート)で、橋の上下流に広がる大井川の河原を存分に眺めることができます。
明治に入り1879年に架けられた橋ですが、高欄の高さは50cmもなく橋面は全面が板敷なので、時代劇に似合う雰囲気のある橋です。
維持管理のために大人100円の渡橋料金を取られますが、対岸に展望台がありギネスブックに登録された最長の木造歩道橋を歩けるので、観光で訪れる方も多いそうです。
天気が良ければ富士山を見ることもできる蓬莱橋は観光施設として造られたように思えますが、右岸にある牧之原台地の茶園を管理するために必要な農道で、島田市が管理をしています。
[ 嶋田 蓬莱橋 (2021 12 10) ]
板敷の橋面は、板が腐食し穴が開いてるところが応急的に合板で補修してあります。
岩国の錦帯橋と同様に、蓬莱橋も維持管理が大変そうです。
[ 金谷 大井川遠岸 ]
大井川を越える様子が金谷宿のある山並みを背景に描かれ、蓮台に駕籠を乗せた人足は胸のあたりまで水につかり川の深さを想像させます。
渡り終えた人足は河原で腰を下ろしたり横になっている者もいます。
川には堤防がなかったようで、どこまも河原が広がっています。
[ 金谷 大井川(2021 12 10) ]
大井川橋から下流にみえるのはJR東海道線の橋梁です。
[金谷 大井川遠岸]にあるように金谷宿を見るためには、見通しのきく高い視点が必要です。
金谷宿は大井川で川止めされた旅人の逗留もあり、対岸の島田宿同様にそれなりの賑わいと規模がありました。
島田方面から大井川橋を渡り、少し下流に進み右折すると金谷宿川越し場跡があり、この辺りから金谷宿の家並みが始まっていましたが、[金谷
大井川遠岸]には山間の家並みだけが描かれ、平地部は家並みの代わりに河原が広く描かれています。
[ 金谷 街道沿いの街並み(2021 12 10) ]
さらに旧・東海道を山側に進み、金谷下十五軒・金谷上十五軒を過ぎたあたりから上り坂がきつくなります。
上十五軒から金谷駅にかけての旧・東海道は、都市計画幅の12mに拡幅されたため、沿道にあった古い建物はほとんどが建替えられ、古を案内する木製の案内板が立っているのみです。
山側は大井川が氾濫しても水に浸からない場所なので、早くから土地利用が進んだのかもしれません。
直線の上り坂が右カーブになるところに金谷駅があり、この辺りまでが金谷宿だったところです。
[ 金谷 新金谷駅にある転車台(2021 12 10) ]
金谷宿の手前にある新金谷駅は、蒸気機関車を走らせている大井川鉄道の本社があり、操車場にはSLの方向を変える転車台が観光客から見えるようになっています。
大井川鉄道は、SLのほかに他の鉄道会社で走っていた中古の車両を譲り受け、そのままの姿で走らせているので、マニアにとっては面白い場所になっています。
<参考資料>